2015年4月24日金曜日

危機感をもって、希望をみつめる。 「取り戻そう、直感」

ふあんなまま、こうやって文章をつづるのはどうかと思うけど、

夜のニュースを見て、
すっごく「これでいーんかいな」と改めて不安を確認した。


私たちの住んでいるこのニッポンは、いったいどこをめざしているんでしょ。


わたしは、
小学生のころから、「戦争」というものに、かなり強い関心を持って生きてきた。
(ちょっとおかしいかもしれない。)


「戦争」というよりも、
それを引き起こす、人のココロというものに。


いろんなレベルで、その要因を考えることはできるけれど、

特に、「考えない人が多い社会」はヤッベーな、とすっごい危機感を感じる。



大学生の時知った、
ハンナ・アーレント「悪の凡庸さ」の指摘には、深く深ーく頷いた。

積極的な、恐ろしい悪というものは存在しない。


「自分の頭で考えない」「責任をとらない」という極めて消極的な形での、
極めて幼児性と依存性の強いしょーーーーもなさがあるだけ。

烏合の衆。

ハンナも、それに気づいたとき震撼しただろうと思う。

怒りと憎しみをぶつけるだけの意味のある確固とした悪なんて存在しなくて、
やりきれなかっただろうよね。

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告

ハンナ・アーレント 映画

スペシャリスト / 自覚なき殺戮者(ハンナを驚愕させたアイヒマンについての映画)

しかし待てよ、
それって、今の日本にもある傾向じゃないか。

怖いじゃないか。




いや、戦争なんて起きないでしょ、

すくなくても自分が生きてる間には起きないでしょ、

なんだかんだ日本は安全だし、まっさかー。


って思ってる間に、準備はされてくもんなんだから。


為政者は必ずしも人格者ではないが、
少なくとも一般ピープルよりは重要情報に近い分、利口になれるんだから。


戦争なんて、
一番儲かる経済活動なんだから。

教育だって法の手続き改正(改悪)だって、十年計画なんて当ったり前なんだから。


目、開けて、

毎日のニュースなんかより(それも大事なことだと思うけど)、

勘だけは日々鍛えておかなくちゃ。


「こいつヤバい」
「鵜呑みにはしなくても、信頼はできる」

とか、ちゃんと自分の第六感を働かせる練習をしておかなくちゃ。




周りのオジーオバーは、
「今は戦争前と雰囲気が似ている」と、怖がっている。

そんなのばっかり。


恋愛したことない人に結婚生活について話されても「百年早いよ」と思うじゃん。
働いたことない人に仕事について語られても、「はいはい」としか思えないじゃん。

やっぱり、経験って重いじゃん。


じゃあさ、
戦後生まれの政治家よりも、
戦争体験者の年寄の話を聞いたほうがいいんじゃないの。


少なくてもまだ生きている間は。
話が聞けるなら。


その人たちが、
「二度と繰り返してはいけない」と、涙を浮かべていうのなら、
きっとそうなんだろうな、と思うのが自然な知性の働かせ方なんじゃないの。

その人たちが、
「あの時の雰囲気に似てる」と怯えているのなら、
それはまずいな、と警戒モードに入るべきなんじゃないの。


(とはいえ、私は武器を持って返り討つやり方は支持してません、
 もっといい平和的な方法、知恵出して考えようよと思う。そのための脳みそだ)


私は、ほんとうにちーさいときから、
なぜか「平和は意識して守るもの」と非常に強く意識していたので、

そんなの起こりえないとシンプルに信じている人たち(友人にもいるけど)の無邪気さが、
ふしぎだ。





反戦運動などには参加しません。
ですが、平和活動には喜んで参加します。

有名な、マザーテレサの言葉。


高校生のときは、どういうことなんだろうと意味がのみ込めなかった。


「戦争にNOを言うこと」に重きを置くんじゃなくて、
「それより、こっちのがいいと思う( *´艸`)」って未来像を描きましょうよってことよね。


わたしは、

・みんなが穏やかで自由にのびのびと毎日を過ごしていて、
・それぞれの違うところもぼちぼち互いに認め合っていて、
・人が人を信じていて、
・豊かさが皆に行きわたっていて、
・ちきゅうに対しての感謝と尊敬の意が行為に具体的に示されている、

そんな世界に住みたいなあ。


そうじゃない社会に絶望するのは簡単だけど、
ひとつずつ、自分の生活の中で、自分から始めていくことなんだよね。


どうか、私たちがその歩みをすすめられますように。



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