2016年9月6日火曜日

あなたが望むならいつまででも「被害者」でいられるよ♥タイミングは自分がつくるまでこないという恐ろしすぎる真実

Jerome Chi (改変 gatag.net)

いろんな人の人生のお話しを聴くのがruのお仕事なので、
その中で学ばせていただくことがたくさんあります。


時代を知る、
色々な家庭環境を知る、
そこにおかれる個々の人々のたくさんの選択を知る、
それから彼らが得た数々の教訓を知る、

歴史的事実を勉強する機会を頂くのもそうですが、

それらを個人がどう解釈してどう動いたのかを知れることが、
本当にありがたい機会だなとruは思っています。


みなさん、ruよりも最低30歳は年上の方ばかりで、
上は大正生まれの方も多い。

そんな人たちの両親や祖父母、親戚や友人の方々になると、
明治初期や江戸時代末期(沖縄では琉球王朝時代末期~)という話になります。


だいたい100年ぐらいの流れを見ると、
なぜその人がそういう考え方を持つにいたったのか少しは想像ができますし、

また関係者何人かのお話しを聞くと、
それぞれ違う視点からの認識、解釈があり、
それぞれの「事実」や「記憶」に相違があることも多々あり、
非常に興味深いところです。

(人の記憶を心理学、脳科学的に分析してみたい、という気持ちにもなります。
人の記憶のあり方にはほんとに個人差があって、繰り返し話されるエピソードには「なぜそれ?」と思うものもたくさんあるからです。)

(自分が90まで生きたら、何を何度も話すのだろう?と気にもなります。)



でね!


人の話を詳しく聞くとね、その人を嫌いになれなくなるんですね。

よく知ると、
どの人も一生懸命生きてるに決まってるから。

「あの人は〇〇だからねえ」とかネガティブな意味をこめて言われてる人だって、

生まれたお家や生育環境はどうだったのか、
お父さんやお母さんはどんな人だったのか、
それから学校に行ったのか行かなかったのか、
仕事をして、結婚したりしなかったり、病気になったり人を看病したり、看取ったり。

そうして今まできた。


どこに傷ついて、喜んで、失って泣いて、今は何を支えにしているのか。


自分が体験していない人生っていうのは、
どんなものでも尊敬に値する、って感じるんです。



だけど同時に、
「そんなに自分を責めなくてもいいじゃないか」
「愛されているって思ってもいいじゃないか」
「自分を誇ってもいいじゃないか」
「がんばってきた、って言ってもいいじゃないか」

と思うこともたくさんあって、

「もう過去は手放して、なんの言い訳もせずに幸せになっちゃえばいいじゃないか」

と思うわけです。



お話を聞いた年配の方々の多くは、戦争を体験されています。


その中でも、戦争孤児、と呼ばれるような状況を経験をされた方たちは、
なんとなく共通した雰囲気を感じるのです。(完全にruの主観です)

「私だけ生き残ってしまった」
「今でも、親と一緒にあのとき死ねたらよかったのにと思う」
「誰も引き取ってくれなかった」
「居場所がない、厄介者」

そういう言葉がリアルな感情とともに紡がれ、
とてもとても切ない気持ちになります。


なぜなら、その人たちには自分の家族がいて、
その家族は「あのとき死んでいれば」という言葉を何度も何度も聞いているのだとわかるからです。


あなたの家族は、今あなたを愛しているんだよ?
それをちゃんと受け取っていますか?

そう言いたくなります。



人が体験したことは、その人にしかわからない。
当然です。

わかるよなんて言えない。

だから、そんなの忘れろとも言えない。



でも、あなたが過去の傷にばかり意識をむけて、
自分を憐れむことばかりしていると、
あなたがそれを口に出さなかったとしても、

あなたを今愛して気にかけてくれている人が、傷つきますよ。


その自覚はありますか?と思うんです。



いいんだけどさ、人の選択だから。





でもruがそういうケースに触れて、恐ろしいなと思ったのはね、

今戦後70年なわけですよ!!!


ってことは、
人は70年は同じことで傷つき続けることができるってことなわけですよ!!!!

泣いて苦しみ続けることができるってことですよ!!!?



いいですか?


なんでもいいけど「心の傷」「トラウマ」と呼ばれるもの、

ぜんぶ!!!!

あなたが「手放そう」と決意する瞬間まで、
(もしその瞬間がこないまま死んでしまったとしても)

ずーーーーーーーーーっと大事に抱えていられるってことですよ????


それこそ後生大事に!!!!



超やばくないですか?



そこまでいったら、もう「宝物」じゃないですか!



いやここでruの話をするとね、

去年の今頃はもうちょっと深刻なテンションで毎日を送っていたんですけどね、
母親と喧嘩して泣いてドライブしたりとか(前書きましたよね)。


あるときに、
私ってどんな人だろう?って考えてみたんです。

私のアイデンティティって何?って言い換えてもいいですね。


したらね、
「女、沖縄出身、心理学を学んだ、アートに興味がある…etc」
色々出てきました。


そんでね、

「レイプの被害者である私」をアイデンティティにしてるって気づいちゃったんですよ!



げ!!!!と思いましたよ笑


やべー私、それ自己認識のよりどころにしちゃってるよ、
超いやなんだけど!!!ぎゃーーーー

何、私はどういう人ですって自己紹介するときに、それ言いたいってこと?
げろげろーまじで趣味悪いわー、うっそー、 みたいな。


でもそういうことでした。



そんで、それは嫌だと思ったので手放そうと決めました。


だけれどね、自分の中に抵抗が生まれた。


いらんアイデンティティだから、
もうそこにこだわらずに生きて行きたいから、

事実は事実として記憶はするけど、「被害者」であり続ける必要はないから手放すと決めた。


でも「手放したくない」わけです。


なんでよ?と思ったら、

「手放したら損じゃん」って思ってる自分に気づきました。


私はなぜか「そういう私であり続けるほうが得」と思ってたわけです。


「手放す」ってことは「ゆるす」を含みます。


あの出来事は水に流すよ、って決断なのです。

もう怒ったり憎んだり、自分を憐れんだり、罪悪感から自分を罰したりしないよ、
そういう決断なのです。

やられっぱなしで悔しいから何か仕返しをするとか、
違う言い方をすると「元を取る」を諦めるってことでもあります。


そこで葛藤です。


でも冷静に考えて、
「損をしたくないっていうけど、
 『被害者』であり続けることで感情や時間のエネルギーをかけて、
 なんか暗い人になって、
 同じような周波数の男とまた付き合ったりしてうまくいかなくて、
 さらに暗い気持ちになって… 
 っていう在り方は「損」じゃないわけ?」

って話なんです。


損をかけ続けてる、って話じゃないわけ?



そう考えているうちに、あほらしくなってきました。


いやいや、

私は「被害者」でい続けたくないですし、
明るいエネルギー発してる側になりたいですし、
どんなとらわれからも自由でありたいですし、
男前と幸せな恋愛をしたいですわ。

「イイ男に愛されて最高のメイクラブを知っている私」のアイデンティティのほうがいいですわ。



そして、「えいっ」って気持ちで、
「もう手放します!」って決めて。



それで終わりです。



私は、そこにかけてきた制限から、一気に自由になった。



結局、人生とか体験というのは超個人的なものなので、

いくら人から深刻に見えようとどうでもよく見えようと、
実際全く関係ない。


「あの人は本当に大変な思いをして…」とか、みなさん言いますが、

もっともらしく感じられるケースこそ罠で、



そんなの関係ないからね!



だからruの経験が、あなたの目に軽く見えようと重く見えようと、
ruには全く関係ないんです。



その人がどうしたいか、だけです。

その人の頭の中だけのモンダイなので。


もうしばらく許したくない、と憎しみの感情を投入するもいいし、
どっかの時点で切り替えるもヨシ。

選べばいい。


ただ、どんな感情であれ、「手放せない(手放したくない、なんだけどね)」と思うのであれば、
一生涯持ち続けてそのまま死んでいけるようだよ、

という、おそろしく自由を自覚させられるお話でした♥





久しぶりの今日の一曲は、


アイスクリーム買いに行きましょうか  所ジョージ


神さまの歌かと思うわ笑


こんな気楽な空気感で、

愛したり愛されたり、
寄り添いあって生きていきたいな。






読んでくれてありがとね♥

台風接近中の沖縄からお送りしました(*´▽`*)

スタバも、こんな日なのですいてます。
(サッカー中継中なせい?)


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