2016年11月13日日曜日

美しさと自意識



美しいものは静かだと書いた。


静かというのは、
自意識が静かということ。



たとえばアップテンポな音楽でも、
たくさんの色が使われた絵画でも、
大きな声で笑う子供も、

静かなものは静か。


美しいものは静か。



逆に、

ミニマリストの部屋でも、

一見削ぎ落としたようなデザインでも、

白黒八ミリの映画であっても、



うるさくてうるさくてたまらないものもある。


エネルギーがぶつかってくる。




私を見て。

私すごいでしょう。

or

私って駄目なの、他人とは違って特別に駄目なの。




わかったわかった、

わかったからもう黙れ。



そういう気分にさせられる表現もある。




といっても笑えないのは、
自分自身がそういう態度のときがあると自覚しているから。

ふとした瞬間に正気に戻って、

「げ、今わたしうるさくなかった?」って青ざめる。


しかもしばしば。


ガチャガチャ食器を洗ったり、
これからやらないといけないこととか不安なこととかに意識を奪われてトイレのドアを乱暴に閉めてしまったり、
味わいもせずに食事を終えてしまったりして、

「げ」と思う。



また、人の顔色を伺って思ってもないことを言ったり、
面白くもないのに笑ってみたり、

そういうときも「あーあ」と思う。


とにかく心が浮ついたとき、
自分自身の落ち着きの中から離れたとき、
人はうるさい。



黙っていても、うるさい。



傲慢な人がうるさく感じられるのは分かりやすいけど、
卑屈な人(謙虚な人、いい人に見られたい人)も同じくらいにうるさい。

個性を出そうという努力も、
新しいものを自分で生み出そうという創意工夫もうるさい。


同類。




自意識というのは、非常に扱いづらい。


わたしたちがエレガントであることを、
素朴でシンプルであることを阻む。


ただ在ることができるなら、それだけで美の高みに到達できるのに。




自然は美しい。


伝統も、多くが美しい。

民族衣装は美しい。


職人さんは美しい。

職人さんの働く姿は美しい。

作業服は美しい。


祈りは美しい。

祈る人、祈る姿が美しい。



そこに、誰もいなくなったとき美しい。


無我の境地。



生命があるがままに在るとき美しい。








…そんな境地知らんけど


ごめんなさい、偉そうに言って




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