2016年12月27日火曜日

おしゃれっぽく見せるだけでいいの?



おしゃれ、っぽく見せるだけでいいのか?と思う。




わたしは一回だけ、
写真の撮り方を教える初心者向けの講座を受けたことがあります。
カルチャースクールでね。

講師は、外国人のフォトグラファーの方でした。



それでね、最後にみんな外に出て写真を撮ってくるんだけど、

そのときにすごい思ったのが、
「なんでも、おしゃれっぽく撮れるじゃん」ってことでした。


いい意味じゃないです。

ネガティブです。



なんでもない風景も、
見る人の目によっては面白くも綺麗にも見える、
っていう意味ではなくて、

なんていうんだろう、

〇〇っぽく、って結局〇〇っぽいだけで偽物じゃん、って感じがした。





で、先生にそう言っちゃったんだよね。

「なんでも撮り方によっては綺麗に見えるんですね」って。



(自分の中の違和感がすごくて、先生を否定したいんじゃなくて、この人がわたしの感じている違和感に対して答えを持っているなら教えてほしいっていう気持ちでだった。)


先生も、周りの生徒も、苦笑いしてるだけだったけど。




今は特にそう思う。


スマホの画素数は増えて、画像はとても綺麗だし、
それに+フィルターでしょ。

もちろんセンスあるなしは関わってくるけども、
誰だってちょっとしたコツやパターンをつかめば、
おしゃれっぽく見せることは可能。


ていうか超簡単だと思う。




ruだって、blogのトップに画像載っけてるし、
それはフリーの画像集の中から自分の好きなものを選んでおいて、
その日の内容とどこかでリンクしてるものを載せるんだけど、

それでもたまに迷う。



〇〇っぽいものと、魂入ってるものの違いってなんだ?ってことを。



〇〇っぽいだけでいいのか?ということを。




わたしは、わたしがグッと掴まれるものだけを周りに置きたいと思ってるし、
そういうものは確かにあるの。

で、そんな中に〇〇っぽいものがあると、すごく濁るの。


でもただ濁るだけで、
だらっとするだけで、
ピンポイントでこれが原因だ!という自覚はもてないわけ。



それが自分の未熟さだなと思うんだけど、甘さをゆるしてしまう。

「わからない」から。





上の写真の話でいえば、

自分が心動かされた一瞬があって、それを切り取ろうとしたのであれば、
テクニックが稚拙であっても、アリだと思うのね。


何がアリなのかよくわからんけど、
私の中では人の動きとして自然だと思えるの。


だけど、「これならおしゃれっぽく」「美しいものっぽく」見えるっしょ、
という感覚でテクニックを駆使して撮られた、
「ある一定のクオリティを満たした作品」は、どこまでいっても偽物という感覚がある。


わたしがそれを意識的に見抜ける自信はないのだけど、
人は誰でもそのエネルギーを感じ取るものじゃないかと思うのね。


そして何より、
撮ったその人は満たされるのだろうか。




なんでもかんでも、
整理された情報を見つけてそれを使えば、
人の心に届く表現ができるかといえばそうじゃないし、

たぶん人は人に何かを届けたがっている。


自分の内側にある本質部分から出る何かを届けたがっている。




テクニックがないからそれができないなら、
テクニックを身に着ける必要はあるのかもしれないけど、

試行錯誤を省いてある程度のクオリティに達せる分、
そこ止まりになってしまう可能性も増す気がする。




たとえば、悪筆の人がワープロで年賀状を作成すること。

「達筆なら直筆で書くけどね」って。



読みやすいことが大事なのか、
その人の存在が感じられることが大事なのか。

息遣いが、熱が。




装いについても同じように考えることはできて、

「周りから、ある程度おしゃれだと思われる」こと、
「常識知らずだと思われない」こと、
「社会的にネガティブな評価を受けることがない」こと…





「あなた」はどこにいったの?




テクニックも情報もあったほうがいいんだよ。

「わたし」を高い精度で表現するという選択肢が与えられるから。





でも時々気分が悪くなる。


なんでもかんでも、おしゃれっぽく、それっぽく見せるだけでいいの?


人からそう見られればいいの?

それで満足なの?




中身がないものを洗練させて、意味があるの?




わかりやすければ、
キャッチ―であれば、
人の心を一瞬引っかけることができれば(ハックできれば)、

それでいいの?






でも結局、深いところまでは届かない。



それでいいの?って。







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