2017年1月9日月曜日

友達、の捉え方が完全に変わりました



今のわたしには、
時間を割いて会いたいと思う友人は数人しかいない。

数人いる、と言ってもいいけど。


うん、片手で足りる。




だから人に誘われたとしても、

その飲み会や集まりに顔を出すよりは、
一緒に旅をするよりは、

一人でドライブしてたほうが、
部屋で読書をしてたほうが、
家事を終わらせたほうがずっといい、という判断をすることが多いです。



めんどくさいんですね。(え?コミュ障っていうんですかこれ)

えーっと、

言い換えると、
気が乗らないことが多いんですね。





わたしはだいたい4年ぐらい前から時間をかけて、
段階的に人間関係を縮小してきています。

すべてがわたしの意志じゃなくて、

なぜか分からないけど人が離れて行く、という感じが強かった。



いっときは、
わたしの何かが悪いんじゃないかと、
割と深刻に受け止めていたときもあったし、

すごく淋しくも思ってた。




今はそうでもない。




自分の本音をしっかり見ようとすると、

会いたいと思える人は、
自分と同じくらい(かそれ以上)に自分自身をぎゅっと見ようとしている人に限られる。



もう取り繕うとかできないから。


もう、沈黙で気まずくなるのが嫌だからって、
世間話をするなんてことはできないし、
いまだにそういう反応をする相手とは一緒にいられない。


沈黙に怯えられても、というところです。



わたしは、そういう瞬間が訪れてもフォローをしようとしないので、
相手としても居心地が悪い物と思われます。


お互い様なので、離れて行くのが自然のなりゆきです。





そういうものなのね、と今は思う。



ただ、傍にいられないだけ。






そんなわたしでも、
時間を一緒に過ごしたいと思える人はいて、
相手も同じように思ってくれているのがとても貴重に感じられます。


ほんとにほんとに。



いてくれてよかったな、と思う。



何かしてくれるわけでもなくて、
こっちとしても何をしてあげるわけでもない。


お互いの近況を話して、

どっちかっていうとお互いの思考の整理をしたり、
違和感を感じた部分を伝え合う鏡としての役割を果たしているって感じ。

相手をヒントを得る媒体とする。



そういう相手はわたしには数少ないし、
きっと相手にとってもそう。




これを「友情」と呼ぶのか?


なんか似つかわしくない言葉に感じられるけど…

そして少なくとも、
過去に思っていた「友情」や「友人関係」とはだいぶ違うけど、



無理がなくて、
自分にとってはすごく必要で大事で幸せな時間。





「わかるよ」



「傍にいないけど、がんばろうね」



って感じ。

言葉にはしないけど。






彼女たちが何かを掴んだら、
素直に喜べると思う。


置いていかれる気持ちになる可能性だってもちろんある。



でも、彼女たちの成功はわたしの成功でもある気がしているから。



間違いじゃなかったんだ!
って、自分に対しても思える機会だから。








さてそんなわたくし、
年末ぐらいから、なんだかJのことが遠くなってきています。


そんなことより自分のこと、という感じ。


自分のことはよく考えています。



これから具体的にどう動いていこうか、
どう生きていきたいのだろうか…とか。


そっちに頭がいって、Jのことにはほぼエネルギー使わなくなっているのです。




うん結局、


わたしはJよりもわたし自身のほうが好きなんだ。



わたしのことが大事なんだ。





Jは、

特別に感じられたとはいえ結局は他人だし、

あいつ彼女いるし、 笑 ←


この(大切な、愛すべき)わたし自身に傾けるべきエネルギーを大きく費やす存在では、どーーーー考えてもないよね。



どー考えても、わたし自身の方が大事だろ!!!!!




うん。




…という感じになっております。笑





おもしろいな。

今のruのエネルギーは、たぶん恋する乙女のものではありませんよ。



Jのことは今でもたぶん(←) 好きですが、
それよりも自分のことがずっとずっと大事です。


彼はあくまでも脇役、って感覚が急に強くなりました。



むしろJはどうでもいいです。




もっと自分のことが知りたいです。



自分が何を好むのか、
何で満足するのか、
どんな人たちとこれから出会っていくのか、
そういうことに興味があります。



このままJのことが消えてく可能性もありますが、
とりあえずは今の感じを記録しときます。






それじゃあ、読んでくれてありがとう。

おやすみなさい。






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