2017年2月17日金曜日

「愛と光」を目指さない


「愛と光」といえば、
スピリチュアル界では二大金字塔的ワード。笑


それを説く人はたくさんいるし、
なんとなく気持ちいい気もする。

でも正直、すべては一つ、とか一つになりましょう、とか言われても、
「え…」という感じで、ちょっと引き気味なわたしがいました。
だって「一つ」という実感もないし、
そもそもみんなで集まって熱く団結するとかは苦手なタチなので(;^_^A



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神との談話」というblogを、
わたしは愛読してました。

メモルさんという女性の、数年間の意識の変遷が見てとれるのですが、
最初のほうはすごく人間ぽくて感情や思考回路も理解しやすいのですが、
後半(2016年くらい~)はすごく難解に感じられました。

メモルさんは、過去の自分はすべてをさかさまに解釈していた、とおっしゃっていて、

現在はblogのほうは閉店ガラガラーされて、
twitterメインでの発信になっていますが、
今でも興味深く読ませてもらっています。

twitter メモルさんのページ


最近では、

「愛はクソだ」とか、
「光と闇は同じもの」という言葉にわたしはとても惹かれて、
惹かれるというか「そうそうそう」と思ったんですね。
(彼女は「美」についても同じことを言っていますが)


というのは、
「愛」や「光」を説く人のblogや本を読んでいると、
なんだか高揚してはくるんだけど、
頭に血が上る感覚というのも同時にあって、
それがいったい何なのかココロのどこかでずっと違和感があったのです。

これ、わたしにとって本当に望む方向に進んでいるんだろうか。
「本来のわたし」の在り方として正しいんだろうか。
そんな違和感です。



あと愛や光を目指すことも「自分」への憎しみと同じだと。
「良くなろう」「進化・変容しよう」という意識それ自体が、
「自分」への攻撃と同じだと。

言葉は違うかもしれませんが、そういうことを感じたとおっしゃっていて、
もちろんわたしはメモルさんの意図することを100%理解したと言えるわけはないんですが、なんとなくしっくりくるのです。

「本当の自分」=「地球・自然」など、
頭では全然理解できていない部分も多いのですが、
なぜか読んでいて落ち着きます。



「愛はクソ」発言についてですが、
わたしがそれについてすごく共感したのは、
やっぱりJとのかかわり合いが大きく影響していると思います。

「愛って何」って、固定概念がかなりグラグラにされたから。

当時のわたしは感情を大きく揺さぶられ、
わたしにとって特別な縁のある相手なのではないかと思ってスピリチュアルなblogを読んだりしていましたが、
今はもうよくわかりません。


ただ、やっぱり彼は特別です。

ロマンチックな話をするつもりはありません。

ただ、わたしはもともと「人と人は分かり合えない」を前提に生きています。

「分かり合えない」とは、
「私の言う赤」と「あなたの言う赤」が「同じ赤」だとは永遠に確かめられない、というレベルでの「分かり合えない」です。
人はそれぞれの世界を生きており、交わっているように見えて交わっていない。

もっと俗な意味で「分かり合えない」人も多々いますが、
すごく近いと思う相手であっても「究極には分かり合えない」と思ってきました。
淋しいけど。
みんな違うから。
いいでも悪いでもなく、みんなそれぞれオリジナルだからね、という意味です。



ですが、Jに関しては違った。


言葉も違うし国籍も性別も違う。
性格も全然違うのに、「わたしと同じ感覚の持ち主だ」と感じました。

近い感性の持ち主、というよりは、
「わたしは彼が感じていることをかなり正確に理解している」し、
「彼はわたしが今何を言いたいのか言わなくても分かっている」と感じました。

それが事実なのか、
相手も同様に感じていたのかは分かりませんし、
上の理由によっても確認できません。

それでも、

なんの引っかかりもなかった。
情熱もなかった。
激しい感情自体が何一つ湧いてこなかった。


彼はわたしの中で綺麗な空気や水と同じでした。

ただただ「この人の傍にいるのが自然」と感じ、
逆に言葉で何かを伝えることができなかった。
I love youともし言ったなら、逆に今感じていることを貶めるような気がした。



そのとき、今わたしが感じているこれは「愛」ではないと思いました。


「愛」という言葉が、
多くの場合はギラギラした欲望のエネルギーをまとっているように感じられました。
強すぎた。
素朴ではない、人工的なにおいを感じました。


「光」も同じく。
ギラギラしているというか、
不自然さや嘘、虚飾があるような気がしました。



「愛」⇔「憎しみ・無関心」(とか何かネガティブな感情)
「光」⇔「闇」
「善」⇔「悪」
など二元性を前提にしているので、
逆のものを巻き込んで己に含んでいるのは当然ですね。




といっても、
わたしも「顛倒」しているでしょうし、


【顛倒(てんどう)】とは、物事をさかさまに見ていること。
つまり、真の仏の知恵とは反対の考え方。


【四顛倒(してんどう)】とは、
私達人間が抱く【真実から180度違う四つの妄念】を指す。


● 無常を常
● を楽
● 無我】を我
● 不浄】を浄


※ http://whitelotus66.jugem.jp/?eid=126
  ↑こちらのblogから引用させていただきました。


メモルさんを正解とするわけでももちろんありませんが、
「愛と光」を目指すのがゴールだというスピリチュアルの一般的な思考の枠を取り払う可能性を見せてくれたことに感謝しています。


それで…

逆に、「善くなろう」「成長しよう」「変化しよう」という考えを手放すのが、
意外にとても難しいことに気づきました。
ふと気づくと、「自分」を否定し、変わろうとしてしまっている。

いつでも焦っていて、
何かを取り込んで安心しようとしている自分がいる。

その根本には、
「ダメだダメだダメだ!こんな自分なんてダメだ!」
という強い自己否定があります。
確かに自分への攻撃ですね。
それ以外の何物でもない。


たぶん、そのままの自分で在ることを見つけた人は、
もう「愛」や「光」を目指すこともないのかな、という気がします。
だからといってもう既に「愛」や「光」だからだよ☆と言っているわけでもなく、
ただ二元性ではない世界でくつろいでいるだけだから、という。

そしてそれが「本当の自分」であり、「生命」の状態なんだろうと思います。

(思います、気がします、だけでごめんなさい。
でもこの分野では私にとってまだ全部が「なんとなく」なので…)



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メモルさんのtwitterやblogで知ることができた、
もののケのしおり さんのtwitter も、フォローしてます。

小学生の女の子(か、そのお母さん)のtweetですが、
数学や物理、化学に詳しい方はご覧になってみてください。
わたしは全然わかりませんが、
分からないなりに、音声を聴いて想像したりしてます。
面白いです。




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