2017年3月17日金曜日

「クチャクチャ音たてて食べる人って生理的にムリ」って、実は教育(刷り込み)の賜物



わたしたちの本質はお金ではない。

お金をほしいと思うのは、
わたしたちの本質ではない。

二歳児に一万円札を握らせても、普通に破って遊ぶと思う。
だってお絵かきしたくてもすでに色々書き込まれてるし、
変なおじさんの顔が描かれてる。
そして手ごろな大きさで、ビリビリ破ると楽しい。



赤ちゃんは、

お母さんの顔が少しばかり奇妙でも、
暗くても、
すっぴんでも、
太っていても痩せすぎていても、
ご飯の食べ方が汚くても、
普通にお母さんのことが好きでい続ける。
世界で一番好きでい続ける。


赤ちゃんは、

中古住宅やトタンの家やなんなら羊小屋で育てられようと、
別に自分は不幸だなんて思わない。
何も思わない、たぶん。
寒い、とか、臭い、とか反応するかもしれんけど 笑


不幸だと思うのは大人のほうだ。
誰かを「不幸な人」にするのは大人のほうだ。

一万円札に執着するのは大人のほうだ。


世の中のほうだ。

社会のほうだ。


わたしたちが赤ちゃんのとき、
お金も美貌も才能も、そんなことはどうでもよかった。

だから、たぶん、今でも本当はどうでもよいことなんだ。

本質以外のことなんだ。


そう考えるように仕向けられなければ、
教えられることがなければ、
そう判断することすらできなかったはず。

完全なる後付けだ。


わたしたちは、後付けの条件のために生きるように、
時間をかけてプログラムされていく。
怖れと不安を感じなくていい、というのが餌。

そもそも怖れや不安や無価値感を感じていなかった存在に、
まず怖れや不安や無価値感を体感させ、
それから「それを感じなくていい方法」を教えていく。

あほらしいけど巧妙なやり方だ。




うまい!!!

座布団三枚!!!!!




さて、

上にあげた怖れや不安や無価値感というのはネガティブな感情ですが、
割合中立に思われる刷り込みが、
ネガティブ反応を引き起こすことだってたくさんある。

そのほとんどは、自分が気づかないうちに身につけてきた、
「良い」とされる自分が属するエリアでの文化習慣からきてる。



海外に出ると、
たくさんのカルチャーショックがある。

わたしが「マジか」と思ったのは、
海外の皆さんの、食事の仕方。
(とりあえず庶民的な場所、に限定して話します。)

なんでテーブルがこんなに汚いの?????って、たぶん日本人の多くの人が思うはず。
わたしこんなに繊細だったのか…、とても真似できない…と思うほどです。


たくさん取ってたくさん残す、
ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる、
テーブルの上はカオス、
テーブルの下も結構なカオス、

そしてクチャクチャ音を立てて食べる…。


おそらく、おそらくですが、
日本人の食事マナーに関する平均的な躾というのは、
世界の中でもかなり高レベルにあり、厳しいものだと思われます。

(それぞれの文化圏に独特のマナーや共通認識があるのは今は置いておきます。食事に左手は使わないとか肉は食べないとかタコは怪物とかね。)

扱うのが難しいお箸を綺麗に使えること、
焼き魚をお箸を使ってなるべく手数少なくスマートに食べ、
食べ終わったお皿の上がいかに美しいか。

そういうの、結構気にしませんか?(デートとかでも。)

でも、食べ終わったお皿の上が綺麗で整っているかなんて、
たいていの国では気にもしませんよ。


だけど、わたしは気にしてしまいます。
そういうふうにしつけられてきたからです。
汚いのはマナー違反であり、同席の方に嫌な思いをさせないように、
と教育されてきたからです。

特に、咀嚼しているときに口の中身を見せることについては、
かなり厳しく親から言われました。(なので必然的に咀嚼中のお喋りはOUT)
なので気にします。
それが当然であると思ってきました。


ですが!!!!!!

海外の人たちと食事すると、別にそれが当然じゃない!!!!!!!!


やばいよ笑


みんな普通にクチャクチャ音出すし、
韓国で見たテレビでは、アイドルや綺麗で上品な女優さん、
YOUTUBERもそうなんだから、
誰もそんなこと気にしてないってことなんだよ!!!!
(日本だったらすぐネット記事+掲示板だよね…)

気にするっていうか、
そこに一切意識がいかないんだろうね。

日本人だったら、たぶんソッコーで意識がそこに向かって、
食事の最中いかに気を紛らわすかで苦心しそうなところ、
誰もまったく気にならないんでしょう。



それ見てさ、
「わたし、食事のときクチャクチャ音出して食べる人生理的にムリ―」とか言う人いるじゃん?

あれ、生理的反応じゃなかったんや、って知った・。


完全なる、刷り込みによる反応でした。



たぶんね、
日本国民の多くが、似たような食事マナーに関する教育(刷り込み)を、
割と厳格に受けてきたから、
全体として「生理的反応」と錯覚できているだけで、実はただの偏執的こだわりでしたと。笑



うちら、別の国で生まれ育ってたら、
たぶん食事タイムも自由奔放にやってたよね。
もちろん自分もクチャクチャ食べるし、
目の前の人がクチャクチャしてても気にしないよね。

じゃあ、これも全然本質じゃないってことだ。


赤ちゃんも、そんなの気にしないからね。絶対。
汚い食べ方する人と一緒にいたくない、ってきっと思わないから。



だからといって、
「生理的反応」錯覚できるほどまで身体にしみ込んでいる観念について、
頭で「これは刷り込みの結果だ」と言い聞かせたところでやっぱり気になると思うわけ。
そして、わざわざ食事のテーブルをカオスにする必要もない。
自分の好みに従って行為をすればいい。


が、

人を裁かなくなると楽。

なんでこの人はこうなんだ、
なんでこの国の人はこうなんだ、じゃなくて、
「わたしの受けてきた教育(刷り込み)」を反応させるなぁ、
ってただ見ることができるようになるし、

それでも反応がきつくて大変!ってときはただ距離を取ればいい。
そこは好き嫌いで。(生理的嫌悪ではなく、自分のキャパシティーの問題でね。)




わたしは自分の脳みそをクリアにして、
モノの観方をなるべくニュートラル(ゼロ)に近づけたいという気持ちがあるので、
この気づきには正直びっくらこいた。

「生理的にダメ」と言ってることにすら、
「生理的」じゃないことがたっぷり含まれてるっていうことは、
今までOKとしてたことももっと全然疑えるってことじゃーん。

「これは正しいし善いし美しい」って勝手に前提としてることが
まだまだたーーーっぷりあるってことじゃーん。
それを疑わずして、上に何かを積み上げようなんて、欺瞞だし独善的だよねえ。
削ぎ落とすだけが必要なこと。



ゼロに戻る、
赤ちゃんの状態に戻る、
っていうことは、本当に一切の善悪がないところなんだと思う。

判断の基準は、
ほんとの意味での「魂の好き嫌い」のみ。

ジャッジがないから、ストーリーが一切ない世界。
すごい。
そりゃすげーよーーーーーー!!!!ブッダ!!!!!!
先が見えないよ 笑



って、この静かな興奮をruと分かち合ってくれる人、
どんだけいますかね?

…やばいよね?笑




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