2017年4月1日土曜日

違和感レーダーとキラキラ系


「わたしはわたし♥ハートで人生をクリエイト♪」みたいなblog、
happyちゃん界隈(だけじゃないけど)でよく見かけますよね。





わたしは結構苦手です(汗


理由は、違和感があるものが多いからです。


そういうblogって、
blogタイトルと記事タイトルに、
「○○なわたし」とか「☆」「♥」「♪」が多用されていて、
一見すごくキラキラして見えるんですけど、
全体から感じるものは全然そうじゃなくてちぐはぐというか。


え?
無理やりテンション上げてるだけで
ほんとは(自分や人生や周りに対して)そう思ってないよね?

ってなる。



個人的には、
タイトル見た瞬間に違和感で気分悪くなることもあるので、

他人から見たらそれくらい奇妙なのに、
ロコツに見えちゃうのに、
よくもまあ表面だけ取り繕おうとするなぁとずっと不思議でした。

それに対して、同じくキラキラした感じで返す人も不思議だった。



でも、そういう人って結構多くて、
blogだけじゃなくて日常生活においても、成人の大多数がそうなので、
言動とその人から感じられることがちぐはぐで混乱する。


わたしが感じたことを伝えても、
鼻で笑われたり、「何言ってんの?」と否定されることが多く、
「わたしが変なのか?」と、成長過程でだんだん自分の感覚を信じられなくなっていきました。

「それが大人になるってことなのかも」と。


ついこの間までそうでした。



だけど、
Happyちゃんと天宮玲桜さん、

特に玲桜さんを知って、
「あぁ、わたしの感覚は別におかしくなかったんだ」
って、自分をようやく認められたというか。

ちょっと泣きそうな気分になりました。




同時に、
みんな見えてるものしか見えないんだなぁ、って思いました。


クリアな人、
玲桜さんとかと比べたらもちろんわたしもそうだけど、
多くの人はわたしよりももっと、見えてるものでしか分からないのかも、
ってつい先日ふと思った。
わたしは比較的敏感な類に含まれるのかもと。

霊感とかはないけど、嘘や違和感には反応する。
そんで、気持ち悪いと感じる。



赤ちゃんや子供、動物は、まじで素直だから、
一緒にいてとっても楽。

植物は、ほんとに在るだけ、マル、って感じだからこれも楽。


あとは自分よりもクリアな人、も、もちろんこちらは引きあげてもらえるのでありがたい。エゴの抵抗があるから楽ではないにしろ、違和感はゼロだから幸せ。


さらに楽なシチュエーションを拡張していくためには、
自分自身がよりクリアになって、
あるがままになって自分にOKを出しくつろげるようになること。
そうすれば、誰がどんな感じでも別に関係ないもんね。



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前は、キラキラしてるのもいいなと思ってた。


スピリチュアルって、
結構キラキラしてる系の方が多い。

だけど、キラキラしてるのの裏に血の匂いっていうか、
ドロドロの怨念が感じられるようになってきた。
キラキラほど重たい。


聖と俗の統合とか、
光と闇の統合とか、

わかるんだけど、
言ってることをすんなに受け入れられる発信者と、
なんとなく重さを感じて苦しくなる発信者とがいる。


わたしは、そういう話ほど面白おかしく話す人が好きだし、
覚者にはうちらを茶化して皮肉ってほしいし、
もし真面目な顔で「みんなで光の方向を向いて頑張っていきましょう!」なんて言われたら吐いちゃうね。やーだよ、誰がって感じ。


単純に好みの問題かもしれないけど、
そういう人って、悲劇のヒロインとか正義のヒーローみたいな、
重たいエネルギー感じるんだよね。(昔の自分を思い起こさせられる笑)
めっちゃ分離。
つーか概念多いからおそらく執着が多い?

解脱したんなら、そこんとくかるーくでヨロシクよ!って思う。



で、キラキラ系と距離をとるようになって、
逆に惹かれるようになってきたのが、


素朴系 

シンプル系 

そのまま系


いっしょか?笑


言葉の裏に何もないなって思える人、

社会的なルールを気にしての逡巡や言葉を選ぶ感じ、
(意識無意識問わず)相手をコントロールしようとするエネルギーが
一切感じられないと、
もうそれだけで本当に尊敬申し上げますって感じ 

つーか異次元の存在?笑


そんな人、この世にほとんどいないからね。

「今」に生きれてるから、逡巡がないわけだし。



仏さんでもさ、
菩薩は貴族的な衣装で豪奢に洗練された美を纏って素敵じゃないですか。

それが如来ともなれば、ぼろぼろ(ぼろぼろではないか)の衣装で、
なんとも簡素なんですよね。



やっぱり視点が高く視野が広く、
こだわりが取り払われていくと、
言葉も見た目もシンプルに、過不足なく、余計な引っかかりがなくなってくんだろうな。

傍目から見て、一見なんでもなさそうなんだけど、
なんとなくこの人は違うって感じられるというか、
ただ傍にいたくなるというか。
そういう意味では自然のような存在。



たぶんそういう人はキラキラしてもないし、
聖と俗がとか、光と闇がとか言わない気がする。
ただ存在がすっきりしている。

赤ちゃんみたいかな。


透明な水や新鮮な空気のような存在。



わたしにとっては、Jといたときの感覚がそれだった。
Jがそういう人というより、透明な水や新鮮な空気を得ているという感覚が、
二人でいるときにわたしにはあったという話。
だから、その感覚の記憶を何度も手繰り寄せ、手がかりにしています。


望むのはキラキラではないよ、と言い聞かせるため。


トリッキーよねぇ (;^_^A





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