2017年4月24日月曜日

あなたの世界にはあなたの何が映ってる?



「世界は自分の内側の反映」の件について。

最近ちょっとイメージが湧いてきて、
自分的には理解が深まった感じなのでシェアします。

自分的にはおススメ記事なので、是非読んでください。笑


※ 外側に答えなんかない、のru的解釈 とはちょっと違う見方です。



☆☆☆


わたしたちが生まれてきたとき、
真っ白だとする。

真っ白というか透明だとするね。


その透明さは、何もない透明さではなくて、
だからすべての人が同じ透明さを持っているわけじゃなくて、

「その人らしい感じ方」という透明さ。


100%「その人らしい感じ方」で世界を感じられている状態が、
透明の状態だとするね。



でも、成長していく過程で、
いろんな「こうじゃなくちゃいけない」「こう感じてこう思わなくちゃいけない」っていう、たくさんのルールや思い込み、つまりは制限を受け入れていく。
そこから生まれる葛藤や感情もね。


その、無数の制限にはそれぞれ色がついていて、
もとは透明だった「わたし」に落書きがされていく。
(わたしにきたインスピレーションでは、透明なジュースにいろんな絵具が混ざっていくイメージだったけど、落書きのほうがわかりやすいかな。)


無数の色が、どんどん重なって重なって重なって混ざっていく。


そうして、どんどん「その人らしい感じ方」が分からなくなっていく。



でもわたしたちがまったくのゼロの透明ではなく
「わたしらしい感じ方」という透明さをもってこの世に生まれてきたなら、
それを感じることが目的だったということ。


だから、ぐちゃぐちゃの落書きがされて、
わたしたちは途方にくれる。

なんか違う、なんか違う、なんか違うんだけどどうしたらいいの?




そうして、
ようやく「わたしらしい感じ方」を取り戻そうとし始める。




でも、この無数の色たちが混ざったそれ自体を、
ひとかたまりの色として取り除くことはできない。


からまった糸のように、
一つ一つの色たちを、
「これはわたしの感じ方ではない」と取り除かなくちゃいけない。



でも、

赤も紫も黄色も金色も緑も…
重なれば重なるだけ、混ざってこんがらがって、
何色がどんなふうに混ざってるのか判別しにくい。



最初は途方もなく見えて絶望して嫌になる。
やるだけ無駄だ、それよりも今の自分の感じ方のまま、
より楽しい方向へいけばいいんじゃないか、と思う。


選択は人それぞれ。




☆☆☆




でね、

こっからが「世界は自分の内側の反映」の話!(長かった!ごめん)



わたしたちの内側にある
「無数の色で落書きされた透明」
「無数の色が混ざって濁り水になった透明のジュース」
が、わたしたちの内側。

わたしたちの持ち物


映画でいえばフィルム。


だから、それがそのまま自分の外側の現実に投影されて映される。



赤くてとげとげしたものが実は内側にあれば、
それはもちろん外側に映る。


薄い青が内側にあれば外側に映る。



悲しみが内側にあれば外側に悲しみが映る。


喜びが内側にあれば外側に喜びが映る。



こういうシンプルな仕組み、
というイメージが湧いてきたんです。



ただ、上に書いたように、
透明の上には既に無数の色で落書きがされていて、
どれがどれの下にあるのか上にあるのかわかりにくい。


どの色がそれを起こしたのかもわかりにくい。


でもわかりにくいだけで、
ちゃんとそこにあるので現実化はされる。



だから、望まない出来事があったら、
単に「何かあるんだな」と思えばいい。

で、「わたしはこれがいい」とシンプルに願えばいい。


すると何か起きるはず。
その過程で「こんなの無理だよ」と感情が乱れたり、
邪魔をする人が出てきたように見えたり。


そうやって自分の内側にある、
それに関係する「色」に近づいていく。
核心に近づいていく。


その色を見つけたら、手放すかどうか選択する。



現状、その色はそこに置いておいたほうがいい、
となるかもしれない。
それもあり。

先に別の色を取り除いたことで、
その色も薄れて消しやすくなっている可能性だってあるし。


それを続けていって、

色数が少なくなるだけ、
その色がもたらすインパクトは強くなる。
ビビッドな影響力をもつ。

存在することでもそうだし、取り除かれたあともそう。



やればやるほど自由になる。
だから最初のうちが一番きついはずだ。



☆☆☆




わたしが透明になりたい、クリアになりたい、と望むのは、

「わたしらしい感じ方」の透明さを知りたいから。



今はどうやってもわからない。


一枚一枚、
一色一色はがしていって、
色の重なりが薄くなっていっているのは感じる。

濁りがだんだん透明に近づいていってるのは感じる。


だけど、まだ別の色。




ただ、「わたしらしい感じ方」の透明で見る世界は、
今見ているものとは全然違うはず。

だって「わたしの感じ方」が違うんだから、世界は別物だ。




そうだ、書くの忘れてたけど、
これが腑に落ちてから、
時間なんて存在しないっていうのがちょっとわかった。


っていうのは、

透明の上についた色たちが、
いつどんな経緯でついたかなんてどうでもいいということ。


大事なのは、今そこにあるということ。

そして、今そこにないということ。(ないは別に考えなくていい)


自分の内側のジュースにその色が混じっていれば、
自分の見る外側の世界にはその色が混じるということ。


いいとか悪いとかは全然ないってわかるよね。


そして、
それは外側の誰に同情してもらえるかどうかは関係なく、
自分が見つけて手放さない限りはそこにあり続けるということ。


今そこにあって、
今それによって外側の現実が現れてくる。


過去何があってとか、
未来に何が起こりそうとかはどうでもいい。


今、内側に何があるか、だけ。


重要なのは、わたしが今何を持っているか、だけ。




☆☆☆




だから最近は、
「嫌な事」があってもそんなに嫌じゃない笑


だって、自分の中にある色に気づくチャンスだから。

そう、本当に思ってるから。
(前よりはだいぶそう思えてる)


わたしの中に何があるか、どんどん見せて、早く見せて、
って感じ 笑


そうすればその分早く選択ができる。
そうすればその分早く「わたしらしい感じ方」の透明に戻れる。



まあ、
それは、それをわたしが望んでいるから、ってだけで別に正解ってことでもないし、
人によってはたくさんの色がついてるけど綺麗な色だからいいよ、
って人もいるだろうし。


そこはやっぱりお好みでしょう。



わたしはどうしたいか、
あなたはどうしたいか、
それだけが問いであって、答えでもある。



焦ってもしょうがないという意味がわかります。




以上です。





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