2017年5月25日木曜日

純粋ではなく愚かだと知れ



闇雲に信じるのは、純粋なのではなくて愚かなだけだ。



赤ちゃんは、
怪しい人が近づいてくると泣くし、

動物もその気配を察知して警戒モードに入る。





もし、
「信じてたのに」と被害者でいようとするなら、
それは自分の愚かさを露見させるようなものだ。

恥の上塗りだ。




「信じたかったもの」

たとえそれが、
大好きだった人の一言でも、
学校の教科書で習ったことだとしても。





信じるかどうかは自分で決める。

間違えたと感じるなら、
どこをどう判断ミスしたのか、
正確な判断の妨げとなったのは何だったかを自分に確かめる。

それさえもせずただ嘆くとしたら、
完全に依存体質で責任転嫁するだけの人間であると告白しているようなもの。



きっとまた何かを「信じて」
きっとまた「間違え」
「信じてたのに裏切られた」と嘆くことだろう。

知性がない。
覚悟もない。

それこそ自業自得。



それはあなたが純粋ではないからではないだろうか。





人の生き方の好みについて、
ああだこうだいう趣味はないけれど。






わたしたちの代表が愚かだとしたら、
それはわたしたちが愚かだからだ。

わたしたちの平均をとったら、だいたい代表になる。


わたしたちが賢ければ、
愚かな代表が代表であれるはずがない。


愚かなのは「わたしたち」であって、「彼ら」ではない。

「わたし」であって「彼」ではない、ともいえるか。




そうやって、自分に力と責任を取り戻していく。

それが、逃げないということだと思う。




逃げない理由は、
あとで自分が後悔するから。

ただそれだけ。





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